ネットビジネスを始めた理由

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ネットビジネスを始めた理由としてはブラック企業に勤めていた過去がとても大きく影響しています。正直にどんな環境だったのかをここで書きます。

僕はこの環境に戻りたくないです、この世界観で生きるのは本当に嫌です。

今でもこの世界観で働く人たちがいます、過去の自分がそうだったのでここからどうしたら抜け出せるかは別のページで紹介していますのでそちらも見てもらえたら嬉しいです。

ブラック企業、その過酷な労働環境

僕は営業職に就く前は、栄養士の資格を取ってすぐに老人ホームで調理や調理補助という業務内容で入社しました。

栄養士の資格というのはほとんどが病院給食や学校給食、保育園での仕事がとても人気があって後々の就職でも有利になるという話しです。

僕はその中でも人気がない、老人ホームに入りました。

なぜ老人ホームが人気がないかというと暗いイメージが強いからでしょう。家族に捨てられ、余命も少ない。そんなイメージを栄養士の中では持つ人もいると思います。

僕がなぜそんな人気がない老人ホームに入ってしまったのかは、ちょっとあまりにも黒歴史すぎるのでここでは書けません。書きたくないわけではなく、書けないです。

直接僕と出会うことがあった時か、通話をした時に個人的にでなら教えることは出来ますので、その話しを知りたいという変わった人がいたら聞いてみてください。

一応爆笑する人もいるような壮絶なエピソードです笑

僕はその老人ホームで5年近く働きました。すぐに転職する僕がどうしてすぐに辞めなかったかというとその経営理念に賛同してしまった。つまり騙されてしまったためです。

人を大事にする。

そんなようなことが書いてあり、ここに共感を得ていました。

これのどこが騙されたのかというと、僕はいまでも人を大事にすることは大切なことだと考えていますので、正確にいうと理念を掲げていることでそれが事実だと勘違いしてしまったことです。

老人ホームというのは福祉施設で、何か高尚な活動に感じます。今でもそう思います。

人の命を扱う仕事ですから、人を大事にすることは大事ですよね。

ただ僕はその言葉を信じた結果。

5年間近く毎日18時間くらい拘束をされて、辛くて毎日5Lくらいのお酒を飲んでいました。電車の中だろうと駅から自宅に戻る道だろうとお酒を飲みながら帰ってましたよ。

そんな状況でも僕は辛くない、楽しいと言って毎日仕事を続けました。 もしも辛いと言葉にしたら、もう戻ってくることは出来ないと考えていたからです。

ただ同じ環境で働く同僚は毎日18時間とかいう不可能なシフトを同じようにやっていて 暴飲暴食をするタイプだったため太りすぎて、しかも立ち仕事だから足を悪くしてしまいました。 ある時その人が杖をついて職場に出てきて僕は大変、驚きました。

毎日18時間近く立ち仕事をする。その人は女性だったけど重いものも持ち上げる。調理場で使う道具は大量になると結構重い。男性でも水が入ったバケツ、大きな中華鍋は重い。飲食業では毎日水を使うので寒いときは本当に辛い。

こんな仕事を毎日続けていたら身体を壊すのは時間の問題だと思います。大きな鍋を持ち上げるとまだ熱いことがあって、よく腕を火傷した。包丁で指を切ってしまうこともたくさんあった。 でも僕は仕事を選ぶ自由がありませんでした。

もしもあれば、お金があったらこんな環境で仕事はしないと思う。毎日大酒を飲む生活ではそのうち身体が壊れて身体的な自由が奪われていただろうと思うとゾッとします。

文章で読むとこの異常な内容が本当にどうでもいい無価値な内容に思えてくるから恐ろしいですね。事実僕は本当に病んでいたし、おかしかった。家庭環境もあれていた。

妻と子どもには本当に悪いことをした、あの時に言ってしまった言葉や、行動が過去として消えません。僕は何を思ったのか妻と離婚をしようと本気で考えていて、それを口に出してしまったことがあります。

でもこれだけは言い訳をいわせて欲しい。僕は狂っていました。

月に1日という休みもないまま、朝は4時半には飛び起きて30才すぎたおじさんが何も食べないまま慌てて最寄り駅まで走ります。

夏場は調理場の中はとんでもない温度になるのでもうろうとしてしまいます。冬場は水仕事は冷たいし、手がすぐに荒れます。

そんな過酷な環境へ遅刻しないために慌てて走って駅までいきます。そこでは僕は厨房の責任者として働いていて毎日遅くまで20時近くまで働きます。

4時半に起きて帰ってきたら22時。拘束されている時間は18時間です。
起きたら妻も子どもも寝ていて、帰ってきたらもう寝ているのが日常です。

1番子どもがかわいいであろう時期の子どもをほとんどみていません。
寝顔だけでも眺めている時間はほとんどありませんでした。
家族旅行はいつも欠席。仕事は毎日解禁。休日は0日が通常です。

心に余裕もなく、時間もなく、お金もなく。

本当に僕の精神がギシギシと痛そうな音を出して壊れていきました。

大事そうに僕の中にあった心の支えは【人を大事にする】という言葉でした。

身体は幸いなことに丈夫な方でしたから、倒れることはありませんでした。でも心は破壊され狂ってきます。何もないのに仕事が終わった後一人で清掃をして帰れそうな時になって涙が止まらなくなってしまったこともあります。

うつ病になる人の気持ちがそこからわかりました。人にひどいことをするとその人は心に傷を負います。タイミングによっては精神を破壊してしまう。だからブラック企業を支える要因になってしまうので、そこで働いてはいけないと考えています。

本当にひどいですね。だから僕は騙されたと感じています。

その会社を辞めるきっかけは、お父さんが年末に「お前もうその奴隷みたいな仕事辞めろ」そういわれました。

僕は本当に頭が悪いのでそれまで奴隷として働いてきたということが分かってませんでした。でもそれを言ってもらえて良かったです。その言葉をもらって僕はすぐに会社を辞める決断を出来ました。

でも5年という時間はもう戻って来ません。子どもの寝顔も、楽しい家族旅行も僕の記憶の中には存在していません。

月給20万円を超えることがない人生

30才もすぎるようになると自分がもう20万っていう給料から30万になることはないと思うようになりました。転職をしても、20万が22万になるくらいのことで結局大して変わらない。 すべてから逃げて来た僕に残されたチャンスはない。

そう思っていました。

月給20万円の30才、これは詰んでいる。状態です。
何か抜本的な変化を起こさない限りは状況は変わらないでしょう。

僕が必死に続けてきた仕事というのは大きな実績にならなかったために、転職を有利にすることはありません。だからいくら転職先を探したところで労働地獄から抜け出すルートはこの先ありません。

役職がどこかでついて部長とかになれば別だったでしょう。でも僕はそうなる前にやめていますし、センスがない人だったので、部長どころか、課長という役職も就くことがない。そんな先がわかってしまった未来でした。

ブラック企業、サービス残業

サービス残業とか、色々な問題があるけどブラック企業っていうのは本当に良くないです。フランチャイズのセブンイレブン。ここはブラック企業でした。そしてそこで1年働くと約束させられたせいでそこでも1年半も働いていて過酷な労働環境でした。

もしこれを読む人の中で今現在働いて月に1度も休みがないことが1度でもあったら、僕は即辞めることを強くおすすめする。

仕事はそのあとも入っては辞め、入っては辞めるを繰り返していました。このころ僕はお金を稼ぐことが誰かの、企業の下で働くことだと考えていました。学校では教えてくれなかったことだけど、どうしたらお金を稼ぐことができるのか知らなかったし考えなかった。

固定給というのは企業側からしたら払っても赤字にならない程度の支払いです。それも黒字の中から全体で平均されてその中で余った分を適当に振り分けられる。いくらがんばっても、逆にがんばらなくても給料はもらえる。

そしてどうせ働かせるならたくさん働かせたいと企業は考える。その発想から長時間労働だったりサービス残業だったりさせてしまう。

ただ労働基準法があるから大丈夫だとかいう考えは僕は間違えていると思います。労働基準法っていうのはあくまでも、弱者を救済するわけではありません。あれが適用されるのは大手の企業とか、過労で亡くなると困るレベルの人たちにだけ適用されるからです。

僕のような堕落した人は人間とは認められていない。正面からお前たちは人間じゃないから労働基準法が適用されないとは厚生労働省も言ってはこないけど、そう考えている。国も企業もお金を稼げる人を大事にする。

お金を稼げない人は上手に生かさず殺さず法律上問題が出ないように静かに搾り取っていく。悔しかった、あまりにも過酷な仕事をしていた時、労働環境があんまりにもをひどいことを弁護士に相談したことがあったけど、結局どこも取り合ってはくれなかった。

平気で弁護士も貧乏人に対してめんどくさいからか「証拠がない」とか「無視」してくる。証拠は勤務表があるし、防犯カメラとかを調べれば実際に働いているところは調べることができる。正義で仕事をしている人が貧乏人は助けてくれない。

国も弁護士も企業もすべて僕をにらみつけ堕落した自分が悪いと言っているように感じていました。

お金がない・・・

我ながらひどい感覚だと思う。けど、外食に行って食べたいものを頼むことは「悪」だと考えていた。そのお店のメニューの中で一番安くてお得感のあるものを大手外食サイゼリヤに行った時でさえ感じる。

サイゼリヤというと格安チェーン店です。でもそんな場所ででも、どれがよりお得で安いかを覚えているのを自慢していた。自分が稼ぐことを真剣に考えていなくてそのせいでずっと貧しかった。

大人になって仕事をするようになり、僕の収入ではそんな高いものを買うことが出来ないことからぜ贅沢をしてはいけない。贅沢は悪だと考えていました。

素直にならないことが正しい。そう考えるように生きてきた。
つまり僕は、素直にお金が欲しいと考えないように考えて生きていました。

人生に必要なのはやはりお金

人生はお金じゃないという人もいる、でもそれは収入が一定以上ある人が言っていいセリフだと断言します。出会いが欲しいと思っていても、お金がなければ出会いにいくことも難しい。おいしいものを食べに行くにしても毎日働いていたら時間もないし、お金がそもそもないだろう。

でもそんな悩みもお金で解決してしまう。僕はケチな時には見えていなかった世界を今たくさん見ることが出来てきた。例えば本を買って読んで、それを自分のビジネスに応用してみたり、それを実際に試してみて収入があがっていくかどうかやってみる。

本をただ会社員で読んでいるだけの時にはなかった快感だ。だって、手に入れた知識を使ってその結果で生まれるお金は全部自分のものになる。それは良かった時も悪かった時も。

情報にお金を投資して、さらにそれが大きなお金になってくる感覚は、このネットビジネスという世界に入って得られた大きなものの1つだ。サラリーマンで生きて来た時には絶対知ってはいけない、踏み込んではならない禁断の領域だった。

投資をしていって稼ごうとする。
それも本気で、それがやりやすい環境がネットビジネスにはあった。

怪しいネットビジネスの世界

インターネットビジネスといっても僕はパソコンで毎日たくさん作業をしてお金が入ってくるわけではない。なんとなくお金が入ってくる。まったく作業をしていない時にでも、過去の僕が作った仕組みが収益を出す。

もちろんそうなるために何もしないわけじゃない。ネットビジネスではとにかくコツコツ継続したりどうやって収益が出てくるようにするかっていうことを真剣に考えてやっていかないとだめで、楽なだけではなく作業をちゃんとすることが前提です。

実際にやってみてこれがビジネスなのかと思う、隙間時間でちょこちょことやることが出来る、だからこそ副業で忙しい中でも稼ぐことができる。

実際はまだ僕も初めて間もないころ半年間ではトータルで8万円程度しか入ってきていない。でもこの8万円はがんばって立ち仕事をしたわけでも、誰かに怒られてペコペコ謝って稼いだわけじゃない。

知らない間に、僕の仕組みが、なんとなく稼いできた。専門的な知識でプログラムを作ったわけでもなく特殊な能力を使って作ったわけでもない。年齢も、学力も、性別も、過去の経歴もまったく関係がない。それでも稼ぐことが出来る。

しかもなんとなく売れたのに、なんか感謝される。僕は売れたというのを後で利益として知ることが出来るけど、売ったという実感は特に感じることもない。特に電話をして買ってくださいと頼み込んだ記憶はないし、メールで買ってくださいと毎日送るわけでもない。

僕がしているのはそうなるための仕組みを作っておいただけ。自動販売機のように、ある場所に立ってて、仕組を作ったあとはいちいち買ってくださいと声をかけることもなく、ただ電気代と補充してくれる人にお金を払っているだけのイメージ。

でもそのためには難しいプログラミングを勉強する必要はありません。メールが出せて、Wordが使える程度でなんの問題もない。さすがにこの文章を見ている人でメールを使ったことがない人はいないと思いますけど。

ネットビジネスに必要なツールは使えば少しずつ覚えていける。

最初は難しく感じるかもしれないけど、車の運転だって最初は交通ルールがたくさんあって覚えることがたくさんあるけどそれでも毎日やっていれば慣れてくる。ほとんど当たり前の感覚で右折も左折もしていくことが出来る。

ネットビジネスの初期ではそんなに複雑で取り返しのつかないことが出てくることもなければ、地道にコツコツとやっていれば日常生活が楽になる程度の金額であれば十分達成できる。

だから根気がありさえすれば達成できると言える。

失敗だらけの僕でも出来るんだから、本当に誰でも出来るんじゃないかと思う。

僕がネットビジネスを始めた理由、そして僕がこんなブラック企業に戻りたくないと思うから、毎日コツコツと継続していくことができる。これがこのネットビジネスという仕組み作りに本気で取り組んでいる最大の理由です。

僕はこんな過去に戻りたくない。仕事をただ生活するためだけにするのは本当に嫌だと思います。

最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。本当に感謝いたします。